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映画『37セカンズ』感想|障がいと性を扱いながらも普遍的な成長譚

生まれたときから脳性麻痺によって手足の自由がきかず、車椅子で生活する「ゆま」が、 親友の漫画家のゴーストライターとして働いており世に出ることができない息苦しさ、 性への興味、 母親の過保護への反感、 そういったことを感じながら1歩外へ出てみる、踏み出してみる、という映画。

37セカンズ

ほとんど前情報を入れずに見に行ったことが良かった。 前半はかなり性的な表現が多く、障がいが邪魔となり人と付き合うことが出来ず、性交渉もままならない姿が、主人公ゆまの描く2次元のマンガのVFXを交えてコミカルに描かれる。 かと思えば後半は急展開を迎え、物語はゆまの成長した姿を映して終える。

正直、前半の「障がい者と性」というテーマだけで終わっても良かったと思ったのだが、本作はそれだけにとどまらず、障がいをもつ子供に、ともすれば過保護になってしまう親との和解、という家族的テーマも含まれている。 この2つ目のテーマを扱うために急な展開があるのだが、映画をまとめるのに必要だったと理解したい。これについては後述。 むしろ、1つ目のテーマに囚われず、より俯瞰的に障がいを描くことに成功しており、ドラマチックな展開によってドキュメンタリーではなくきちんとヒューマンドラマになっていたと思う。ヒューマンドラマにすることによって、物語は彼らだけのものではなく、観客もそこに自らを重ね合わせることができる。

主人公ゆまを演じたのは、実際に障がいをもつ佳山明さん。演技が初挑戦だったらしいが、全く信じられないほど、時には大胆に、時には繊細に、と役に没頭していた。朴訥な感じの話し方も演技なのか自然なのか分からないが、役にマッチしていた。 印象に残ってるのは、成人向けマンガの編集部にかけたときの電話で、エッチな保留音が聞こえたときに見せた、ハニカミや躊躇が入り混じったような表情がなんともいえず良かった。

主人公の脇を支えた役者たちも素晴らしかった。 母親役の神野三鈴は、主人公を食ってかかるような演技で画面を支配していてゆまちゃんへの感情移入をしやすくしていた。涙を、文字通りこぼす演技。大げさにも見えるがすごい。 ゆまの世話を焼いてくれる渡辺真起子も、姉御肌で頼れる大人の女性という感じがにじみ出ていた。絶対いい人。 編集長役の板谷由夏も、歯に衣着せぬ物言いで、好感が持てた。

さて、後半の展開に触れるが、、 物語は後半、介護士大東駿介と共に、ゆまの父親探しの旅となる。意外と早く父親と対面できるのだが、そこで明かされたのは、双子の姉、ゆかの存在。今はタイで学校の先生をしていると言う。 そこからまさかのタイへ。ゆかと出会い、それまで知っていたのに連絡を取らなかったゆかが謝ると、ゆまは許しを与える。 かなり忙しい展開だった。もう少しゆっくり見たかった感も。せっかくタイのロケをしているのだし。 それから、ずっと行動を共にしていた大東駿介と淡い恋の予感を感じるのだが、特に進展することなく終わっていった。これはこんなもんで良かったと思う。あっさり目のほうが、鑑賞後に爽やかな気持ちになる。(どうも恋バナは編集で削ったようですね笑(https://www.thinktheearth.net/think/2019/03/039berlinale/))

演出面について。 2次元のマンガと融合した演出も良かった。コミカルなタッチでゆまの妄想の世界が描かれ、見ていて楽しい。妄想がたくましいなと。 CHAIによる挿入歌『NEO』もまさにネオ可愛い感じで、ポップな雰囲気を演出していた。僕は以前、きゃりーぱみゅぱみゅの対バンイベント(https://okmusic.jp/news/270021)でこの『NEO』を生で聞いたことがあるのだが、新しく可愛いサウンドに驚いたことを覚えている。

親友の漫画家がゴーストライターのゆまに「寄生」しており、いけ好かない感じなのだが、もう少し終盤、彼女としての変化も描かれると救いがあったように思う。まあこれは、人はそんなに簡単には変わらないことを表しているのかもしれない。

終盤、タイトルの37セカンズの意味が明かされる。そしてゆまから漏れる、「私で良かった。」というセリフ。「よくそんなこと言えるなあ」と、その頃にはすっかりゆまに感情移入していた僕は感心してしまった。このシーンにこの映画の、メッセージが込められている。障がいを受け入れ、出会いに感謝する、というゆまの成長が見られるのだ。

チャラいEXITがとても真面目にHIKARI監督にインタビューしている動画もぜひ。

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