あーてぃちょーくのおんせんブログ

映画『スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け』感想|前作とは真逆のメッセージに困惑

2回見てしまった。2回目は心穏やかに楽しめたかな。

スターウォーズ9
(C)2019 Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.

とにかく「なぜ?」が頭の中に駆け回った最終章だった。エピソード8でビシバシ感じた“可能性”は何だったのか。

前作、エピソード8は荒削りながらも、レイとカイロ・レンが背中合わせに共闘したり、ルークが超人的なフォースでレンと対決したりと、アツくなる展開が多かった。そして、「血統は関係ない」という新しく力強いメッセージを提示し、これまではつまるところ親縁関係の物語に過ぎなかったスターウォーズを、新たな道筋へと導くマイルストーンのような映画だった。それを念押しするように、ラストでは何でもない少年がフォースのような力で箒を手にし、星を見上げたのだ。

あれは、なんだったの??前作の全てを無に帰すように明かされるレイの出自。結局はパルパティーンの血統であり、その血で悩むというこれまでのサーガを彷彿とさせる展開。ちゃぶ台返しとはこのことである。

何の伏線もなく復活するパルパティーン。思い出したかのように結集するポー、フィン、レイの3人。こうやっておけばファンは喜ぶんだろ?と言わんばかりに惑星から惑星へと冒険する。C3-POは何事もなく記憶を取り戻す。そりゃもちろんユーモアを交えたやり取りなどは面白いし、波が打ち付ける船の上でライトセーバーを交えるレイとレンの対決も見応えがあった。土壇場で多くの仲間が助けに来る、感動する展開もあった。しかし、自分としては別の意味で“冒険”して欲しかったと思う。血縁なんて関係ない、というメッセージを別の形で提示して欲しかった。

かつてのジェダイたちの声を響かせる演出。まぁいいでしょう。ここぞとばかりに鳴らすダースベーダーのテーマ。まぁいいでしょう。とにかくファンサービスは十分で、ファンに媚びた映画だった。

レイとベンの関係性を最も安易なやり方で見せるキスシーンもどうかと思う。まぁいいんじゃね?という声もあるが、断固として拒否すべきでは。何にも考えていない、ホントに一番簡単な方法を選んでる意図が見え隠れする。彼らはもっと深い関係性で結ばれているのだから、考えて欲しかったポイントである。

最後のシーン、里帰りしたレイは名前を聞かれて「レイ・スカイウォーカー」と名乗る。これはこれで分かりやすくて納得できるんだが、ここも「パルパティーン」と答える挑戦を見たかった。持っている名前なんて関係ない、自分なりの生き様で見せていくんだという強い気概を感じたかった。

また、これは不思議に思えた体験なのだが、レイア姫を演じたキャリー・フィッシャーは3年前に亡くなっているにも関わらず、かなり長い尺を演じていた。CGで蘇らせたのか?とも思ったのだが、実は生前に撮っていたものを使用したそうだ。早い段階で脚本が固まっていたんだなと感心するのと同時に、だったらもっと早い段階でエピソード8と9の齟齬に気付くべきだったのでは?という腑に落ちない思いも頭をもたげる。

腑に落ちないと言えば、フィンのどっちつかずの恋愛模様も腑に落ちない。前作ではローズといつの間にか出来たフィンだが、今作ではうっすらした関係に終わり、レイへ思いを寄せているかと思えば、ジャナと思いを通じ合わせる。煮え切らんな。一方、ポーのほうは良かった。古い付き合いのゾーイと再会し、またやり直すかどうかというやり取りで、ポーの顔だけで全てを語る演技が味が出ていて素晴らしい。

唯一次作の可能性を感じたのは、全てが終わったあと喜びを分かち合うなかで、ランドがゾーイに問う、「君はどこの出身だい?」「分からないの」「一緒に探そう」これは新たな物語が始まるのではないかという予感を感じた。

無難に終わらせよう。ファンサービスを余すことなく入れよう。こんな意図が見える脚本だった。前作の監督のままだったらどんなものが見れただろうと思わずにはいられない、そんな最終章だった。