映画『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』感想|外の世界の解釈とワニの名
アニメ版とは異なる完全新作ストーリー。映像美がすごいです。考察もしたいと思います。
あらすじ
閉鎖的な名門校を舞台に、男装の美少女が繰り広げる愛と闘いの物語を独特の美的センスで描く、テレビ版の発展形として製作されたアニメーション。監督は「美少女戦士セーラームーンR」の幾原邦彦。脚本は「美少女戦士セーラームーンSuperS セーラームーン9戦士集結!ブラック・ドリーム・ホールの奇跡」の榎戸洋司。撮影を中條豊光が担当している。声の出演に「ザ★ドラえもんズ ムシムシぴょんぴょん大作戦!」の川上とも子の他、ミュージシャン・及川光博が特別出演している。(映画.com)
感想
完全に一見さんお断りの映画でした。アニメを見ていてもこれは?と疑問に思うところがいくつもありました。しかし、これはこれでカッコいいウテナが見られるし、画作りも非常に綺麗、かつストーリーもアニメより分かりやすく構成されていて、見ていて楽しかったです。
劇場版ではやや説明調子なセリフがあったところは残念でした。
しかしながら、全体としてケレン味あふれる画作りがアニメよりパワーアップしており、見た目にも楽しめました。また、描写としてもテレビの規制がないせいか、過激なものも多く、幾原邦彦監督が本来表現したいモノを全て出し切っているような印象を受けました。
完全新作ストーリー(以下、ネタバレあり)
本作、『アドゥレセンス黙示録』はアニメ版とは異なった世界線の話です。いわばパラレルワールド。並行世界の話です。
アニメ版が原作漫画の翻案だとすると、劇場版はアニメ版の翻案といったところでしょうか。
本作は、桐生冬芽が亡くなっている世界。そして、鳳暁生が亡くなっている世界です。物語の中盤でこれが明かされるわけですが、結構驚きましたね。
2人が亡くなっている世界になることで、ウテナとアンシーの関係性がかなり明瞭になっています。劇中のセリフにもありますが、これについては後述します。
ウテナとアンシーの描写
劇場版のウテナは短髪で、より男らしく描かれています。一方、アンシーはより積極的な性格で、エンゲージしたウテナに対しても最初からタメ口で責めます。
アンシー、肉食系女子に変わっててマジか…と思いました。しかし、これはこれで尺の短い映画において、ウテナとの関係を早く前に進めるためには良い改変だったとも思います。
さて、劇場版ではウテナは冬芽と幼馴染で恋をしていた設定になっています。冬芽、ふつうに王子様ポジションです。これにも結構驚きましたね。普通に男性に恋をするウテナ。可憐です。
ウテナは自分のせいで冬芽を死なせてしまったと、自責の念があるようです。実際、学園の中でも冬芽の幻影を認めており、過去のトラウマから抜け出せていない様子が描かれています。
一方、アンシーも、兄である暁生を亡くしています。劇場版での暁生は少しカッコ悪い一面も見せるちょいダサハンサムです。それを及川光博が演じているので、ナゾの説得力がありました。
アンシーが暁生に対して、自分が死なせてしまったという自責の念があるかは定かではありません。暁生は、アンシーにテイタラクな自分の一面がバレて、自暴自棄になって死んだようなものだからです。ただ、そのせいでアンシーが薔薇の花嫁になってしまったのは明らかであり、心のどこかでは自分のせいで薔薇の花嫁になってしまったんだという後悔の念があるのでしょう。
ウテナとアンシーの関係性
劇場版ではウテナとアンシーはどのような関係性でしょうか。
序盤、ウテナは西園寺との決闘を通してアンシーと知り合います。アンシーは最初からグイグイ来るため、ウテナとアンシーの距離感が近いと思いました。かといって友達のようかと言われれば、序盤ではアンシーがちょっとウテナのことを下に見ているような気がします。
中盤では、ウテナは、冬芽がアンシーと関係を持ったのではないかと勘違いをし、アンシーに対して嫉妬心を持ちます。いわゆる三角関係ですね。
しかし、アンシーにひどいことを言ったウテナは反省し、アンシーとの真実の友情を求めます。ここでの2人のダンスシーン、美しいの一言です。赤いバラに囲まれ、水面に映る2人の姿の美しさたるや。水面に映ったウテナは長髪になってるんですね。アンシーもまた、ウテナこそ、自分の求めた救済だと認めているのではないでしょうか。
終盤、幻影の城と暁生から抜け出したウテナとアンシーは「外」の世界を目指して荒野を駆けんとします。ここで、ウテナははっきりと、本作におけるアンシーとの関係性をセリフによって明示します。
「僕たちは、王子様を死なせた共犯者だったんだね」
ウテナは冬芽、アンシーは暁生、というお互いにとっての王子様を亡くした、という共通項があったということです。
では、なぜ彼女たち「王子様を死なせた共犯者」は「外」を目指したのでしょうか。
「外の世界」とは
彼女たちが目指す「外の世界」とは一体何でしょうか。
それは一言で言えば「自由の世界」でしょう。
アニメ版ではアンシーがウテナを求めて旅に出ます。これは学園の「外」に旅に出ることを意味するものであり、本質的に劇場版でいうところの「外の世界」と同じだと思われます。
アニメ版をもう少し解釈すると、アンシーがウテナを求めて「外の世界」を目指したのであれば、それはすなわち、ウテナがアンシーの行動の原動力・駆動力になったということです。
劇場版でも、ウテナは文字通り「車」に姿を変え、アンシーを外の世界へと導く駆動力となります。「外の世界」はまずウテナが求め、目指したものであり、それに感化されたアンシーもまた目指すことになったわけです。
劇場版では車での脱出の際、学園の仲間がウテナたちを助けに来ます。西園寺は「外で会えたら今度は堂々と口説き落としてみせる」とアンシーに声をかけます。樹璃は「外を目指すのは志高いことだ」とも言っていました。
「外に出て道を進み、世界の果てを広げ続ける」というセリフもありました。
これらのことから、「外の世界」というのは、目指すのは困難だが、非常に志高く、皆が求めているものだと思われます。
それはつまり、王子様を失ったウテナやアンシーがお互い幸せになれるような許された世界(百合を考えてもいいでしょう)、学園の規則などがない開放された世界のようなものだと考えられます。
自由の世界を求めて荒野を駆ける2人、最高にカッコよかったです。
ワニの名は。
劇場版ではビデオテープの映像でしか出番がなかったチュチュ。もっと見たかったです。
チュチュと一緒に、見慣れないワニのキャラクターが新しく登場していました。
このワニの名前、気になったのですが、Blu-rayのチャプター名を見ていると、ありました。
「ケロポン」というらしいです。ワニっぽい見た目ですが、カエルっぽい名前が付けられていました(笑)。
気になった小ネタたち
① テレビの規制がない表現の数々。シーツから蝶々が生み出るシーンは完全にメタファー。
② 決闘は学園の生徒みんなが見れるスタイル。劇場版では決闘が行われることは別に秘密ではないんですね。
③ エヴァを彷彿とさせる車の司令室。劇場版公開は1999年で、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の放映は1996年ですから、エヴァからインスパイアされたパロディかも。
④ 重要なセリフをつぶやく幹(ミッキー)。「冬芽って誰だ?」は割とゾクッとしました。冬芽がこの世にいないことの伏線でしたね。
まとめ
さて、アニメ版とは似ても似つかぬ劇場版でした。これはこれでアリ。説明がきちんとセリフでなされるし、最低限の理解は出来るようになっていました。何より35mmフィルムでの美しい作画の数々は素晴らしかったです。音楽も相変わらず良いです。アニメ版を楽しめた人はぜひ観るべきでしょう。
幾原監督と声優さんのインタビューはこちら↓。 artichoke.hatenablog.com